2012年2月22日水曜日

新聞購読

バジルの芽が出てくる。水仙は八分咲き。ニューヨークタイムスの配達の契約解除。それとともにウェブサイトでの購読もできなくなる。新たにウェブの契約をしようかと思っているが、別になければないで何とかなる気もする。とにかくこれでここ二十年ぐらい続いていた新聞で始まる朝が終わる。きっと時々手動販売機で買い、カフェで読み捨てられた新聞を読むに決まっているので、印刷ものへの決別ではない。ただ、毎日、読みもせずに溜まっていく新聞を横目に罪の意識の中で出勤することはなくなる。

2012年2月17日金曜日

誕生日

今日も暖かく。朝、「月曜日はお休みよね」とアン。私以外はお休み。どうしてうちの大学は休みにならないのか。「だれの誕生日か知ってる?」とコーヒーを煎れながら何気なくアンが娘にきくと、「George」とさり気なく答える。「そう、Georgeよね、George」と私が相づちを打っていると、アンは「もう一つの方の名前は」としつこい。「But the other day was Lincoln's」と、リンカーンという名前の幼なじみがおり、あれがリンカーンの誕生日だったら、やはり今度の月曜日の誕生日はGeorgeであると主張。それなりに筋が通っているのでよしとする。

2012年2月16日木曜日

バジル

うちの近くのスーパーでは、もう水仙の球根は売っていないので、その代わりにバジルの種を購入、オフィスガーデンで試してみる。今日は陽射しが強く、今にも芽が出るような光が燦々とそそぐ。もちろん芽は出ない。一年生のペーパーを読む。今学期は、The Asia-Pacific Journalというオンラインのジャーナルを使ってペーパーを書くようにということをしてみた。はじめは戸惑っていたが、こういうふうにキーワードを考えてみたら、などとオフィスで話しながら、少しずつ慣れていった。学生が見つけてくる論文記事はなかなかおもしろく、勉強になった。互いに話し合ったわけでもないのに、川端の作品を分析するペーパーで、一番人気があったのはTom Gill, "Failed Manhood on the Streets of Urban Japan: The Meanings of Self-Reliance for Homeless Men"だった。タイトルのfaild manhoodがテキストとどこかで繋がるらしい。今日は、Roger Pulvers, "Night on the Milky Way Train: Miyazawa Kenji’s Space Odyssey"を引用したペーパーを読み、いろいろと考えた。

2012年2月15日水曜日

水曜日

長くあっという間の水曜日終了。アンは出張から戻り、みんなで晩ご飯。今日大変だったことを話す。学生のペーパーをたくさん読まないといけなかった、と私。レンタカーを返そうとして、どの会社か忘れてしまって返すのに時間がかかった、とアン。喉が渇いて水が飲みたかったけれど、先生がクラスの間はだめだと言って飲ませてくれなかったから大変だった、と娘。手をあげて水を飲んでもいいですかって言えばいいじゃない、と私が言うと、水は休み時間やお昼ご飯に飲んで、それ以外はだめだということになっている、それが学校の規則だから、とアンがきっぱりと言う。だから、休み時間にちゃんと飲むようにしないといけないよね、と娘にも。そうやって厳しくしつけられているのに、どうして大学生になるとああやって教室で授業中に飲み食いするようになるのか、と素朴な質問をすると、アンは苦笑いするのみ。

2012年2月14日火曜日

水曜日ではなく火曜日の夜なのに久しぶりにビールを飲む。いつだったかリーディングにsapporoというのがあり、それはビールの名前でしょう、と学生にきかれ、いや、まず地名があって、と説明しながら、変な会話、と思ったことがある。夜中は食器洗浄機の音がする。アンはこの音で安らぐというのだけれど、私は箱に入れて何かをしてきれいになったり温かくなったりというのは不気味だと思う。信じられるのは冷蔵庫ぐらいかもしれない。

晩ご飯はバーモントカレー。もう一人のおかあさんは出張。毎週月曜日の一年生のセミナーに、昨夜はきくちゃんに来ていただく。「昨夜」という言い方を極力避けるようにしているけれど、実感である。きくちゃんにはこれまでの音楽活動について語っていただきたいという、非常に漠然とした形で講義をお願いした。学ばせていただいたことがたくさんあり、少しずつ考えていきたいと思っているが、まず、この壁の使い方である。きくちゃんは、教室に入ってすぐ、備え付けのスクリーンではなく、入ったら向かって左側にある壁を選んで、そこに持参のプロジェクターでスライドを映すということに決めた。ご本人からすれば当然のことなのだと思うのだけれど、新鮮だった。きくちゃんのプロジェクターの光は大学が使っているのより強いのかもしれない。また、スクリーンの白よりも、壁の白の方が光を反射する効率が高いのかもしれない(こういう言い方をきっとしないと思うが)。また、入り口近くに非常灯として明々としている部分から遠いということもあるかもしれない。そして、きくちゃんの作ったスライドが優れている、ということを考慮しても、大学が雇った建築家、あるいはデザイナーの設計したスクリーンの位置は何なのだろうと思わせる。よいしょよいしょと紐を下まで引っ張ってはずるずると引き延ばすあのスクリーンは、大体いつも黒板の前に覆い被さるようになっている。両方を使うということができない。教室のスクリーンというものは実はなくてもいいものなのかもしれない。

2012年2月11日土曜日

土曜日